研究室でCADゼミをしました

卒業設計を迎える四年生の為に、スイスで培ったCADのスキルをすこしでも還元しようというのが発端で、自主ゼミ名義でCADミーティングをしました。

初心者も参加しているということで、作成したコマンド表を配布しつつ、
ワークスペース、レイヤーの管理から図面のつくりかたまで、基礎からやや駆け足で行いました。

使う機会もそこまでないためかウチの研究室はなにかしらCADに苦手意識を持つ子がいるので、もし今後あまり使うことが無くてもそれを払拭できたらそれで目標は達成かな、と思います。
土木業界では、まず間違いなく使うことになるだろうから。

本当はミースの建築をトレースする(もっと言えば模型をつくるところまで)までやりたかったのだけれど案の定、時間がなくて次回に持ち越しになった。
やったことがある身からすれば、配置計画からディテールの収め方まで、空間のつくり方を勉強する良い方法だと思うのだけれど、なかなかカバーしきれない。

なぜ重要なのかをすこし説いて回ってみるか。
うざい先輩はあと一年弱います。

あーあ、誰かGISとかRhinoミーティングとかしてくれねーかな

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Infrastructural Urbanism: Addressing the In-Between

Infrastructural Urbanism: Addressing the In-Between


さて、前年度はスイス建築の世界でせっせと働いていた訳ですが、しばらくは土木の世界に残るという見通しもたったことで、
今年度は修論を通してランドスケープ・アーキテクチュア、をいい加減勉強しなければと思います。
建築もランドスケープも土木も、一筋縄では行かずに人生まるまるを賭す価値は当然ある訳ですが、今はあまりジャンルに縛られずにやっていきたいと思います。
個人的には「日本庭園」「Infrastructural Urbanism」を2大テーマとして深めていくことができればと考えています。
これからの日記はそんな書き込みが増える(かも)。

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都市のクオリティ・ストック―土地利用・緑地・交通の統合戦略

都市のクオリティ・ストック―土地利用・緑地・交通の統合戦略

流域都市論―自然と共生する流域圏・都市の再生

流域都市論―自然と共生する流域圏・都市の再生

インフラストラクチュア・アーバニストになるには

ランドスケープ・アーバニズム

ランドスケープ・アーバニズム


土木デザインの思考することにおいて狭義の景観(だけ)を考えるにはどうにも物足りないだろうという気にさせてくれる、そんな一冊である。

編著者であるチャールズ・ヴォルドハイムの提唱する「ランドスケープ・アーバニズム」の概念を発端にして、欧米を中心としたランドスケープ・アーキテクトが集まり、都市を取り巻いている状況とそのデザインの潮流についてを持論を展開していく。

アメリカではいわゆるマスター・アーキテクトは建築家ではなくランドスケープの人間が台頭してくるが、日本でいうランドスケープ・アーキテクトとのバックグラウンドの違いをまえもって理解していれば、土木のフィールドのいる人間にも深く納得のできる、われわれもまた都市に介入することができるのではないかと鼓舞させてくれるような内容であると考えられる。

さて、この本を読んでいて読んでいてはっとさせられるものがあるのだが、欧米で語られているランドスケープ・アーバニズムに「防災」という観点が見受けられない。著者陣の論考から、アーバニズムとしてのランドスケープが積極的に主張されている事例を大雑把にたどると、
健康な場所(セントラルパーク、パリ改造事業)→アーバン・パーク(ラヴィレット)→公共空間と交通インフラの一体化(トリニタート・クローバーリーフ)→ブラウンフィールドの再生(デュイスブルグ)→都市の縮退(東ドイツ
とここまできて、災害に強い都市という観点は西欧にはあまりない。最近ではどうやらオランダの広域治水事業や、アイスランドでは、土石流を村に流さないようなランドフォームをつくったプロジェクトがあるらしいが、新しいパラダイムという風に考えることも出来る。
というわけで、ヨーロッパにはない自然災害、とくに地震津波防災において日本のランドスケープ・アーバニズムの次なる展開の可能性があると考えている。もっといえば、プレートの境界線上に存在する日本にしかできないランドスケープの作り方とは一体なんであろうか。現在は先生の指導のもと、某市における津波防災緑地計画のアイデアをさらに練ってはいるが、そういったことも頭の片隅に入れて進めていきたいと考えている。土木の空間論は、アーバニズムのロジックと組み込んでいくことに未来があるのかもしれない。

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JA NO.93 篠原一男

JA NO.93 篠原一男

建築ノート NO.10 (SEIBUNDO Mook)

建築ノート NO.10 (SEIBUNDO Mook)

Margarethenpark



2年前の7月頃、スイス、バーゼルのとある公園で、僕はノートPC片手にひとり、取り残されていた。

建築事務所に雇ってもらうために意気揚々と飛行機で面接にやってきたにもかかわらず、能力に大きな疑いをもたれてしまったことと、志望者が他に複数居たこともあってか、あっけなく選考に落ちてしまった。
木漏れ日の中を抜けるトラムからの美しい風景がこの時ばかりはどうにも恨めしくみえた。路面電車に乗って面接場所からホステルまでの帰路につく時、自分はさぞかしものすごい形相だっただろう。
カバンに入りきらない稚拙なポートフォリオを右手から落としそうになりながら。



休学していた傍ら、手ぶらで帰国するのはまずい、そんな焦りの気持ちが募る中で、スイスの建築求人サイトを目を血走らせながらチェックしていた。更新される情報を何度も何度も確認しながら、メールを送り続ける。ほとんどがアプライをしても返事がなかった。それでも、送るしかなかった。
ホステルの部屋の中に籠もりきりでPCをにらみ続けるより、なにかしら平穏を求めていた僕は(同室のテンションの高いおっさんにも絡まれたくなかった)、ホステルの近くの芝生の公園でゆっくりすることにした。さいわい、Wifi環境も整っている。求人サイトをF5キーで片手間に更新しながら、芝生でずっと寝っ転がっていた。
お菓子をぼそぼそと食べてそこで一日が終わることもあれば、散水器がまわっていることや犬が走り回っているのをずっと眺めているだけで日暮れになることもあった。
僕の他には、新聞紙を顔に被せて昼寝しているベタな半裸のおっさんも、ベンチにこしかけてぴくりとも動かず遊ぶ子供をニコニコと眺めているおばあちゃんもいた。
ぼくもその芝生の中の人間のひとりだった。
地球の一点でPCを広げて寝転がるアジア人。あそこには間違いなくなにか壮大な物語がひろがっていたのだろう。



そのあと継続したアプライと、いろいろな人の助けもあって、何とか僕は、というよりなぜあんなところで働くことが出来たのか今でもわからないけど、大きな実績のある組織設計事務所で働かせてもらうことになった。実務は大変なことばかりでうまくいったことよりいかなかったことの方が多いというのが正直な所ではあるけれど、25年生きた短い生涯の中でも特筆すべき貴重な経験となったとはいえる。
実務経験より、大切な人達ができたこと、あるいは既にたくさん居たことに痛切に気づくことが出来たことが自分にとってはかけがえのない財産だ。立場が何から何まで違う、いろんな人達と心をむき出しにして笑い、喜び、時には怒り、衝突し、悲しんだことで得られたものであることはまちがいない。



それからあっというまに帰国してしまい、またアホみたいにのんびりと過ごしている自分ではあるが、日本に戻って半年たった現在でも、あの芝生の風景が鮮明によみがえってくる。
F5キーをポチ、ポチと連打していたあの芝生の公園。自分も他人も登場人物の一人にしかすぎない不思議な空間。さまよえる果てに行き着くような、そんな場所が故郷には一体どれぐらいあるだろう。
できるならば、そんな世界を作ってみたいと思う。



そしてこの度、僕は土木設計事務所への就職が決まりました。
これまでお世話になった人たちには深く感謝してやみません。
今後ともお世話になることもあるとは存じますが、なにとぞよろしくお願い致します。
あと一年、がんばって論文書いて卒業します。