雑記

やっぱりひっかかるところはひっかかるところだった。

「風景はエリート層がつくりあげるもの」この部分に多分に違和感を感じていたのだが、そりゃそうだ。

今回の原発の問題しかり、知識も持たなかった人間が「何シーベルト」だの「セシウム」だの考え出して、インターネッツで伝播していく。
我々は津波に恐怖し、原発に混乱し、日本の未来を案じるのだ。それは風景以外の何者でもない。共有されているのだ。この部分は仮に本当に書かれていたとしても、私は更新するべきだと考える。だって、いやはやどうにも近代的主張ではないか。で、そこからどう考えるか。「風景はエリート層だけがつくりあげるもの"だけ"ではない」。では、エリートの役目とは一体なんなのか。存在意義は?エリートができることとは一体なんだ?


そこからも風景づくりの問いが始まっていると思う。
そもそもエリートって一体なんだ?
自分のことをエリートだと思うか?

エリートがゲシュタルト崩壊してきた。
体がカーッと熱くなってきた。