沈黙から語りへ27

風景の論理―沈黙から語りへ

風景の論理―沈黙から語りへ


 あらためて実感したことは、風景が語られたり表現する契機が日常的に存在していないことから、我々は常に風景体験をしているものの、その存在に気づかないということ、そして風景体験なしには我々は新たに創造行為を行うばかりか、生きていけないということである。なぜなら我々は過去を清算することは出来ないからだ、ということである。
 木岡信夫は『風景の論理』において、風景経験を「個人における展開」「個人から集団への展開」「集団から個人への展開」の三つの展開方向に即して、風景体験の概念「基本風景」、「原風景」、「表現的風景」の三つの契機に分類し、考察を行っている。
我々は、可視的な経験の手前ないしは彼方にひそむ、構造化しない「原型X(風景以前の何か)」から構造化された基本風景を知覚する。基本風景は日常的に知覚しているが、それが何であるかは表現の契機なくしては認識することが出来ない。
その暗黙的実践から、共同的な言語行為によって語られる風景、物語としての風景である原風景に移行する。これはとりもどすことの出来ない過去への志向性から、〈かたる〉という共同行為が行われる。
 沈黙から語りへ、そしてその後、「形」から「型」へと風景のあり方が変化していくとき、経験が確かさをまして〈表現〉に落ち着こうとしていく。このときの表現行為の契機は、語りの成立基盤にして目的でもある共同体に存続の危機が訪れたとき、また、しばしば「天才」とも呼ばれるような、突出した表現者による集団からの自立が志向されたときに起きる。一方の目的が既存の物語の修復、原風景の強化であることに対して、他方は語りの惰性を打ち破る意味の創出に主眼を持っている。
 そしてそれらは、構造論的な見地から、原型を除く他の三つの風景が、集合された一つの構造連関をなすということが述べられている。個々の基本風景が統合される形で原風景というものが生まれ、さらに原風景を基盤として個の自覚に基づく表現的風景が成立する。生み出された表現的風景は、それによって原風景をあらたに規定しなおし、更新された原風景は基本的風景を規定する。こうした循環の構造は、地理学者オギュスタン・ベルクが自然と文化の関係を、それぞれの二元対立でない「通態性」と呼んだことと密接に関わっていると考えられる。文化は自然を基盤とする一方で、自然は文化による表現を通じて象徴的に理解される。
 ここで私はひとつの仮説を立ててみたいと考えている。景観まちづくりにおける制度設計が「表現的風景」における表現行為、として考えることが出来るのではないだろうか、ということである。木岡は「表現的風景」として、天才画家の風景画や、熊本県阿蘇郡小国町のトップダウン型の山村振興計画などのフィジカルな例を取り上げているが、それと同時に、「これは決して個々の作者が自己の表象を様々な意匠に託する行為ではない」ということも述べている。それは、「言語行為をもふくめた実践によって、おのれの生き方を提示し、これによって他者の〈かたり〉、実践を促す」ということであった。つまり、われわれが魅力的な風景を創出していくための制度設計とは、表現的風景の表現行為を支える「メタ表現的風景」と呼ばれるようなものではないだろうか。木岡は表現行為を行う主体が個人であるケースが取り上げているが、ボトムアップ型の景観まちづくりにおいても類似した考察が得られるだろう。
 京都などは、外部資本が参入してきたために景観が損なわれてきた事例は数多くある。上述したものをふまえると、原風景が危機に瀕したとき、景観条例のようなシステム、ひとつの表現的風景が現れた。その形(表現的風景)によって型(原風景)は象徴的に理解され、強化される。
つまり、我々がよりよい魅力的な風景を創出していくためには、「語る」ことによって単純に原風景を守っていこうというだけでなく、新たな「表現的風景」、それによって「個の実践が他の個の実践を媒介するような〈かたらい〉、相互行為の場を切り開くふるまい」とを生み出していくことが欠かせないのであり、あるべき姿の制度設計とは、そういったものであると考える。
 まちづくりや都市計画において、フィジカルな部分において設計行為を行うだけでは、限界があり、デザインプロセスやシステム設計について考えていかなければならないのは当然のことだろう。しかし、制度そのものを設計するにしても、システムに過保護に守られ存立した我々が、風景の本質を知る由もないまま思考停止に陥り、〈かたらい〉の欠乏した共同体ではあってはならない。我々が我々自身に対して新たな秩序を打ち出すことのできる、その障害となってはならない構造というものが求められており、そしてそれが「景観を生成するシステム」と呼ばれるのだろうと考えている。