「あいだ」としての庭空間、拝聴殴り書きメモ@京大時計台会議室EG研究会

関係/「あいだ」としての庭空間

・報告者にとってのとっての庭空間:「あいだ」
・コミュニティ・スタディーズの要諦としての関係/「あいだ」
 ex.東日本大震災、共同体の機能、家族の解体
このふたつから出発する新しい集合、のあり方

→つながりと「となりあうこと」の再発見
→「あいだ」/すきまのいちづけ
コミュニタリアン主導のコミュニティ願望・期待論とむすびつくことなく・・・」ひとつの迂回的作戦である

[庭とは何か]
定義の困難性 ex.あいまいな二分法 ヨーロッパと日本、ニワとソノ→あいだ/関係としてのニワ空間に焦点化

[西洋の庭園]
・「一つの世界」=エデンの園を呼び起こす西欧の庭園
・居所と宴席から遠近法的な美を追求・静的な美
「人間中心主義的である(上田篤)」→自己を基点とする、人間の手にあるコスモスが中心であり、そこに日本を組み込む

[日本のニワ]
・〈園=快適さ〉もない、具象性もない「無の形」←はたして・・・
・一定しないまなざし、「確固たる自己の不在」 ・配置の構成・・・でたらめ?
・「あいだ」としてのコスモス 「奥行き」と「あいだ」の持つ美
・「垣」/「塀」のダイナミズム 借景、無限につらなるニワ空間(反証:イギリスのハーハー)

[もうひとつのニワ]
「すまい」「やかた」としての庭
(基本構造)方形の敷地ラカンに、中庭(ナター、ナタル)を取り巻くようにして、寝室(メタン)、台所(パオン)、穀倉(ジナン)、寝室(メタン)、
屋敷の寺院(サンガー)を配置、さらにこの敷地(館)を非違や生け垣で包囲
・外に対する閉鎖性と内に対する開放性
・アスタ・コサリの世界観:庭という枠を突破、自然を通り、宇宙まで届く世界

[創発性にとってのあいだの要件]
→「内在に還ることなく「外」に向かって開かれている」ことが不可欠、「無為の共同性」(ナンシー)
「日本の庭」は、また「バリの庭」は創発性を形成するための感情となり得るか、あるいはそのための素材提供の役割を担うような「文化の型」を示し得ているのだろうか?



To be continued...